[編集] 史料上の問題
歴史的なナザレのイエスについては、何も確定的に述べることができない、というのが正確な処である。イエスの言動についての一次史料がなく、パウロの書翰もパウロの福音に関しては一次史料であるが、イエスが存在したかどうか、どういう人物であったのか、パウロは明確には書いていない。パウロは、死して後に甦り、彼の前に(ヴィジョンとして出現し)復活と救済を啓示したキリストについて述べている。
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[編集] 二次史料の問題
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歴史的なイエスについての最大の研究史料は、キリスト教の『新約聖書』である。しかし、パウロは生前のイエスに直接出会った訳ではない。また各福音書の記者は、かつてはイエスの直弟子の使徒本人と考えられていたが、実際は別の者が使徒の名を借りているだけで、福音書は複雑な編集を経たものと想定されている。実際のところ、福音書記者たちも生前のイエスを知らなかった可能性が高い。
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いま一つ重要な問題は、『新約聖書』がコイネー(共通ギリシア語)で記されていることである。想定されている『Q福音書』もまたギリシア語であると考えられている。だが、ナザレのイエスはアラム語の話者であったと想定され、イエスの語録や言行記録、奇蹟譚も当然にアラム語あるいはヘブライ語で述べられていたはずである。ところが、『Q福音書』の写本が断片も発見されないと同様に、アラム語あるいはヘブライ語で記されたイエスの言葉や言行の記録を記した写本も、まったく発見されない。
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このような状況の説明として、イエスの教えを宣教しようとした人々に二種類のグループが存在したとする説がある[1]。第一は、イエスの直弟子などのグループで、彼らはセム語において特徴とされる、真理は「語られた言葉に宿る[2]」との考えから、教えを口伝で伝えていた。他方、これらのグループと拮抗するグループが存在し、彼らはギリシア的あるいはヘレニズム的な考えから、真理は「記された言葉に宿る」との考えのもと、福音書を文字で伝えようとしたというものである。
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前者のグループがエルサレム教団に代表されるヘブライ派の人々で、そこにはイエスの弟子たちが含まれ、彼らはイエスの啓示について特権的な「使徒の権威」を持っていたとも考えられる。それに対し後者のグループは、パウロがその典型であるが、ヘレニズム時代の地中海世界の住民で、広義にヘレニストと呼ぶのが相応しい人々である。後者のグループは「使徒的権威」を持っていなかったため、教えを文字としてヘレニズム世界に広めることで自分たちの信仰を宣教したのだとも考えられる。
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したがって、ナザレのイエスに直接に出会い、教えを聞いた人たちは、文書の記録を残さなかったと想定される。またキリスト教の福音は、そもそもイエス自身の教えとは別のものだとも言える。イエスは自身を預言者とは考えていたが、メシアそして救世主とは考えていなかったと想定される。キリスト教の宣教においては、イエスを世の救い主として「どのように解釈するか」が重要であった。この解釈はヘレニストにとっての課題で、彼らがギリシア語でキリスト教を伝えた。
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[編集] イエスは何をしたのか
イエスは1世紀にパレスティナのユダヤの地(とりわけ、ガリラヤ周辺)で活動したが、彼が何を行ったのか、キリスト教の福音書やグノーシス文書、その他の初期の文献は、イエスが宗教的な教えを説いたという点では概ね一致している。イエスは宗教指導者であり、ラビであったということは、多くの文献で一致している。したがって、歴史的なイエスは、何かの宗教的教えを説いた・宣教した宗教家または思想家であったということは恐らく間違いのないことである。しかし、何を説いたのか、思想家としてどのような考えを述べていたのか、諸資料では必ずしも一致しない。キリスト教の四つの福音書では、イエスの捉え方・描き方に違いがある。
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『共観福音書』では、イエスを卓越したラビ、奇蹟を起こすラビとして捉えている。少なくとも「人間」だと把握している。他方、『ヨハネ福音書』では、イエスは「神」であるという前提から文書が記されている。グノーシス文書では、イエスは人でもあり神でもあり、本来的にアイオーンである。しかし、歴史的実在としては、やはり人として出現している。
イエスは、地上の人間の「救済の教え」を説いた、ということが様々な文献で一致することである。ただ、その「救済」とはどのような意味なのか、初期キリスト教内部でも解釈が分かれていた。
[編集] 生涯
[編集] 誕生
キリスト教の『福音書』に従えば、ナザレのイエスは、ベツレヘムで誕生したことになっているが、イスラエルの救済者・メシアはベツレヘムで生まれるという伝承がユダヤ教にはあり、この伝承に従って、福音書記者はこのような記述を行ったと考えられる。
しかし福音書本文では、記者たちはイエスのことを「ナザレ人」と呼んでおり、また『ルカ福音書』1章26節から始まる「天使祝詞」の項では、「天使ガブリエルが神の許より、ガリラヤの町ナザレに住む一人の処女のもとを訪ねたが、彼女の名はマリアムで、ダビデの家系にあるヨセフの許嫁であった」と述べられている。ここからイエスとマリアはナザレの住民であったことにもなる[3]。
同じく福音書によれば、イエスの父(養父)はダビデの末裔のヨセフ、母はマリアとされるが、メシアはダビデの家系に生まれると云う伝承があり、伝承に合わせて福音書記者は記述したと考えられている(ヨセフが養父であることは、『福音書』が述べていることで、マリアは人間によってではなく聖霊(?γιον Πνε?μα, Hagion Pneuma)によって身籠もったとされている。これはどういう意味か、解釈が分かれる[4])。
福音書はまた、イエスの誕生をヘロデ大王の治世の末で、大王が未だ存命中であったと記し(ヘロデの幼児虐殺)ている。ローマ帝国の方針と一致しないが、ローマ皇帝が戸籍の確認を求めたため、ヨセフとマリアはベツレヘムを訪ねていたという記述もあり、ここから、紀元前7年頃から紀元前4年頃にイエスの誕生があったと解釈される。
[編集] 少年時代・青年時代
イエスの少年時代については、『ルカ福音書』が唯一語っているが、この話だけが孤立しており、歴史的根拠のない伝説と考えられる。ただし、外典にはイエスの少年時代の話は出てくる。
[編集] 公生活
ナザレのイエスは、福音書では成人した男性として登場する。その中で彼は、宗教的な要素を含んだ様々な教えを説き、奇蹟を起こした結果、弟子の集団が構成されたことになっている。福音書にはイエスが病人を癒し、ライ病患者を癒し、死者を甦らせたなど、多数の奇蹟譚が記されている。また解釈が難しい「イエスの譬え話」も多数伝えられている。
イエスは、洗礼教団の一派であるエッセネ派と何らかの関係を持っていたと推定される。そのことは、福音書が洗礼者ヨハネについて記し、イエスがヨハネから洗礼を受けたと記述していること、そして『死海文書』中に出てくる「義の教師」の生涯がイエスの生涯に類似していることから、このような解釈が出てくる[5]。
[編集] 弟子集団
マグダラのマリアとイエスイエスには多くの弟子ができ、キリスト教はそれをペトロを筆頭とする「十二弟子」として権威付けている。しかし、『福音書』の記述や、グノーシス文書の記述などからすると、イエスの弟子は、男性の十二弟子が中核ではなく、女性の弟子集団が中心であったとも考えられ、なかでもマグダラのマリアが筆頭の弟子であったという説もある[6]。更に、マグダラのマリアがイエスの妻であったことが推論されている[7]。
[編集] イエスの教え
イエスは貧しき者・虐げられた者の救済の可能性を説いている。「山上の垂訓」[8]で始まるイエスの教えの言葉では、人間の平等や、互いのあいだの愛を語っている。
『マタイ福音書』にある山上の垂訓は次のような印象的な言葉で始まる:
心の貧しい者は幸いなり 天の王国はこのような人々のものである
Makarioi hoi ptookhoi tooi pneumati, hoti autoon estin hee basileia toon ouranoon.[9]